#5公認会計士×アフォーダブル住宅
千年建設株式会社 代表取締役社長/株式会社LivEQuality大家さん 代表取締役社長/
NPO法人LivEQuality HUB 代表理事
岡本拓也さん

住まいとつながりで
全ての人の可能性に光を当てたい
株高を追い風に、瞬く間に「億り人」となる人がいる。
その一方で、相次ぐ物価高や家賃の上昇により、お腹いっぱい食べることさえ叶わない人もいる――。持てる者と持たざる者の差が、世界中でますます大きく開いています。
生活が苦しい人たちの中でも、特に困難を強いられているのが、ひとり親世帯、なかでも母子世帯です。その問題に、住まいという側面から挑んでいるのが、今回ご登場いただく岡本拓也さんです。
今注目の「アフォーダブル住宅」のパイオニアとして、さまざまなメディアでも取り上げられている岡本さんの、熱い想いとその裏にある本音に迫ります。
世界で見つけた進むべき道
マイクロクレジットとの出会い
困っている人を目にすると、いても立ってもいられない。
その衝動に突き動かされるように、岡本拓也さんは何度も人生の進路を変えてきた。
原点は大学時代、バックパッカーとして訪れたバングラデシュにある。そこで岡本さんは、「マイクロクレジット」と呼ばれる金融の仕組みに出会った。
「それまで銀行口座すら持てなかったような方々に、少額の融資をする取り組みです。利用するのは主に女性で、そのお金を元手に農業や織物などの仕事を始め、スモールビジネスの起業家になっていくんです」
もともと貧困や紛争など、世界が抱える問題に関心を持ち、自分も何か社会に貢献したいと考えていた岡本さん。この出会いが、その後の人生を決める大きな転機となった。
「人の尊厳を取り戻し、貧困から脱却するきっかけを、金融というビジネスがつくっている。『人の可能性を信じる金融』があることを知って、これだと思いました」
公認会計士という武器を手に入れる
帰国後、岡本さんは一念発起し、公認会計士を目指した。その決断の背中を押したのは、バングラデシュを訪れる前、インドで出会った元商社マンの言葉だった。
「『君は何ができるの?』と聞かれて、『できることは何でもやります』と答えたんです。すると、『それは何もできないのと同じだ』と。これが刺さりましたね」
目指す世界に近づくためには、まず武器を持たなければならない。そう考えた岡本さんは猛勉強を重ね、3度目の挑戦で公認会計士試験に合格。監査法人で会計士としての基礎を築いた後、PwCアドバイザリーでは企業再生の現場に身を置き、経営と金融の実践力を磨いていった。
ソーシャルの世界への第一歩
多忙を極める日々の中でも、岡本さんは歩むべき道を見失うことはなかった。そんな志を知る知人から声を掛けられる。
「『岡本が好きそうなイベントがあるよ』と誘われて参加したのが、SVP東京※が主催するソーシャルファイナンスのカンファレンスでした。話を聞いて、『自分がやりたいのはこういうことだった!』と思いました」
これを機に、岡本さんはSVP東京の活動に加わり、NPOの経営を支援するプロボノに参加。ビジネス誌でも「ソーシャルベンチャー」が特集され、NPOが新たな社会の担い手として注目され始めた頃だった。
平日は企業再生、週末はソーシャル。二足のわらじを履く日々を経て、2年間携わった企業再生プロジェクトが一区切りを迎えると、岡本さんはソーシャルの世界へ軸足を移すことを決意する。強い慰留を振り切り、2011年2月末にPwCを退職。未曾有の震災が東北を襲ったのは、そのわずか11日後だった。
※ソーシャルベンチャー・パートナーズ東京
社会課題の解決に取り組む革新的な事業に対して、資金を提供するとともに、専門性を持つパートナーが経営面で協働するNPO法人。
※ソーシャルベンチャー・パートナーズ東京
社会課題の解決に取り組む革新的な事業に対して、資金を提供するとともに、専門性を持つパートナーが経営面で協働するNPO法人。
ビジネスとソーシャルの架け橋として
「本当にいても立ってもいられなくなって、被災地へ行きました。実際に現地を見て、これはもう中途半端にやっている場合じゃないと思い、そこから100%ソーシャルの世界に入っていきました」
岡本さんは、すでに理事として関わっていたNPO法人カタリバで常務理事兼事務局長を務め、被災した子どもたちを支える事業を推進。一方、SVP東京では2代目代表理事に就任し、震災支援に取り組むNPOを資金と経営の両面から支えた。
「当時のソーシャルビジネスの世界はまさにカオスでした。ビジネスからこの世界に来た人はまだほとんどいなかったので、自分としてはビジネスとソーシャルの架け橋にもなれたと思います。何もないところからつくり上げていくのは大変でしたが、やりがいはありましたね」
この世界で生きていく。
そう決めて走り続けてきた岡本さんは、SVP東京の代表を次代へ引き継ぎ、自身の新たな挑戦を考え始めていた。
その矢先、一本の電話が入った。父親の訃報だった。
すべての経験が新事業へとつながる
目指す道を捨て、建設会社社長へ
岡本さんの父親は、名古屋に本社を置く建設会社を一代で築き上げた人だった。突然の出来事に戸惑っていたのは、岡本さんだけではない。
「泣く暇もなく葬儀を終えて、改めて会社の人たちにご挨拶をしようとしたところ、『その前にご相談があります』と。『息子さん、社長になってもらえませんか』と言われたんです」
父親の会社に一切関わってこなかった岡本さんは、その唐突な申し出を一度はきっぱりと断った。しかし、落胆する社員たちの姿が胸に迫った。
「僕自身は震災復興や国の委員など、大きなことに関わっている。一方で、父にとって家族同然だった人たちが目の前で途方に暮れている。そんな時に自分は何もしないのか。それが、だんだん腑に落ちなくなってきたんです」
ようやくたどり着いたソーシャルの世界から、故郷の建設会社の社長になるのか・・・?
「決断とは、選ぶことではなく、捨てること」
中途半端な覚悟では務まらない。悩み抜いた末、岡本さんはそれまで走り続けてきた道をいったん捨て、家業を継ぐ決断をした。
ところが、その道は思いがけないところで続いていた。建設会社を継いで丸2年。世界は新型コロナウイルスという未知の危機に襲われる。
日本版アフォーダブル住宅の誕生
新型コロナウイルスの感染が拡大し、社会活動が急速に縮小すると、真っ先に影響を受けたのが非正規雇用で働く人たちだった。
「その窮状を知り、いても立ってもいられなくなって、こんな時だからこそ、自分にできることは何だろうと考えました」
中でも厳しい状況に置かれていたのが、シングルマザーをはじめとする女性たちだった。仕事を失い、家賃を払えず、住まいまで手放さざるを得ない人がいる。その現実を知った岡本さんの中に、ある考えが浮かんだ。
「これこそ、自分がやるべきことではないだろうか」
海外では、低所得者にも手が届く良質な住まいを提供する「アフォーダブルハウジング」が広がっていた。この仕組みを日本にもつくれないか。建設会社の経営者となった今の自分なら、挑戦できるかもしれない。
原点である「人の可能性を信じる金融」、公認会計士として培った会計・金融の知識、ソーシャルの現場で得た経験、そして思いがけず引き継いだ建設会社。いくつもの点が、ここで一本の線となった。
物件の提供を担う株式会社と、入居後の生活支援を行うNPOを立ち上げ、さらに投資家や金融機関、行政を巻き込む仕組みへと発展させている。
「自分たちだけでやっていても、世の中は変わりません。どうすれば構造そのものを変えられるのか。そのためには、投資家や銀行、行政と一緒に取り組む必要があると考えています」
日本版アフォーダブル住宅は、今まさに広がり始めたばかり。その先に岡本さんは、どのような社会を思い描いているのか。現在の取り組みと未来への構想を、ぜひ動画でご覧ください。